●「融合フォーラム2001in鹿沼」記念講演

 【テーマ】21世紀の学びをデザインする

 【講 師】              寺脇 研 文部科学省生涯学習政策局生涯学習政策審議官 



この十年間日本はよくなってきている。例えば女性、障害を持った方、若者、子どもたちにとって。

若者にとって言えば十年前、偏差値が大手をふっていた。受験競争の加熱の中にあった。現在は家庭科男女必修化がされた。総合的学習の時間もはじまる。

勿論凶悪な事件が起きるなど、問題はある。しかし、確実によい方に変化している。地域や家庭もそうである。

例えば完全学校週五日制。近づくといろんな声もおこってくる。しかし、たった一日土曜日が休みになったとき、学校五日制がはじまったときの議論を思い出す。土曜日も子どもの面倒を見てほしいという、いくら何でもあのときのような低次元の批判はおこらないだろう。それだけ意識がかわってきている。

池田小学校の話をきっかけにいろいろな議論がある。しかし、本当に子どもたちを「安全」にしようとすれば、高い山のなか、高い塀の中に隔離せねばならなくなる。本当に「安全」にするために。でもそうすることでどんな人間ができるか。全くリスクのないやり方がよいのか。

この十年の日本はとてもよくなっている。悪くなったと思うひとがなにかと文句をいう。それは官の世界に属している人。経営者は経営責任がある。悪しき意味の官と悪い経営者は一致している。

例えばゆとり教育批判、学社融合批判する人の肩書きを見てみると、全員男性。女性はひとりもいない。そして、全員大学教授とか現あるいは元官僚。国立大学の先生とか。

学社融合論の考え方というのは、本当に大きな世の中の流れにそっている。

画期的な催しがあった。初めて全国の都道府県政令都市の社会教育主事の研修を全員参加で文部科学省主催でやった。過去五十年やらなかったことは問題。でもやったことはとっかかりになった。一泊二日でやったが、夜の交流会のとき、車座になる人とならない人がいる。学社融合で「学の方が偉い」と勘違いしてる人もいる。しかし、それは時代遅れなんだ。三分の二はそう思っている。しかしあとの三分の一の人たちは取り残されている。

民間支援教育団体の吉田さんの話を全国の社会教育主事にきいてもらった。民の側の話を官の都道府県の社会教育主事がきく。更に私が追い打ちをかける話もする。みなさん方はその社会教育主事さんよりきっと、私の話を理解されるだろう。

みなさんのやっていることは脱官。小泉さんだけがでてきてこうなったわけではない。たとえば、NTTやJR。むかしは官だった。ストライキをやると、私たちは歩いて職場にいかねばならない。これは官が官に対して争っている。日教組対文部省でも両方官。官どうしの争いはわかるが、民にめいわくをかけるな。ということ。JRもNTTもストライキがなくなったのは、民がゆるさなくなったから。脱官の流れが今につながってきている。

実は本当はない官というものに、官というものがあると錯覚していただけなのだ。そしてその錯覚が持ち越されてきた。これは戦後の民主主義が外からもたらされたことに立脚する。だが8割の国民はその後の教育を受けている。

脱官。官民から民官へ。主権在民だから民が上。吉田さんは公(こう)と民と言われる。官という言葉すらいらない。公(こう)と民。

お役人は官でなく、おおやけのことをやる職業にすぎない。私も勤務時間以外は民。そうすると、役人も民。二十四時間おおやけのことをやっている人はいない。それなのに無条件にありがたがることは変。

ただ民の中におおやけのことなんて絶対やりたくない、と言う人がいたら問題。しかし今そういう人は減ってきている。それは本当に自分のことしか考えない。そういう人。でも考えると、お隣の人のことを考えていてもそれはおおやけのことになる。それを一切やらないというのはあり得ない。自律(立)二乗。小泉。ただ自分たちのことはやる。と言うだけでやってきてそういう結果社会に莫大な借金がのこった。

NPOは、民がやる最たるもの。文京区の例。子どもたちの居場所がない。特に四年生以上の子ども。放課後児童クラブみたいに居場所を作れないか。そこで役所できいた。やるとするとこれだけかかると区役所が提示した額。官がやると目の玉の飛び出るほどの金額。しかも文京区の区民税は文京区の公務員の給料でなくなってしまう。それだったら、自分たちでやろうと考えた。親もリスク。NPO、役所も補助金を出す。ここに、新しい公共サービスの成立がある。今までだったら役所に頼むだけで水掛け論になっていた。官に頼るという考えをやめ、どうやってパブリックを形成していくかということ。

今度の学校の改革。学校という官のあり方が変わっていく。教師と言う公務員、官僚。そのあり方を考える。外務省の場合も同じ。民意の反映ー地域住民の。学校が民意を聞くシステムを作る一例ー学校評議会、等。

教師という公務員のありよう。五年間で七千人ふやす。フルタイムの教師しかいない学校をなくす。これからはフルタイムの教師、パートタイムの公務員の教師の導入、ー産休の非常勤講師ではないー常にいる。そして先生じゃない人たちー公務員じゃない人たちが入ってくる。謝金をうける、受けない人。四者の人の比重をどうすえるか、各学校でどう使うのか。親、地域住民の意見をきき、地域が学校の意志決定権をもつ。形式的には校長、教育委員会が。 

国民の民意にそって総合的な学習ができた。役人はコックみたいなもの。民がこういう料理をつくれというと作る。前は民意が今とちがった。受験競争に勝ち残る子どもを作ってほしいという民意があった。そこで、偏差値と言う化学調味料をつかった。注文は複雑になっている。「子どもをのびのび、そして学力つけてくれ。」そしてやっているのが今の教育改革。のびのびと学力、私たちはこれを矛盾するとはとらえない。しかし、どっちをとるかといわれたら、子どもをのびのび。

全国の私立幼稚園の親二万五千人に二ヶ月前調査をした。どんな子どもになってほしいか、選択肢から三つ選ぶ。八十パーセントの親が人と仲良く、友達たくさんとにチェック、これが一位。第二位は六十六パーセント、 社会で役に立てる人になってほしい。勉強ができるが三位かと思ったが、これは四パーセントしかいない。

さっきののびのびと学力を矛盾させないためには、学校を卒業した後も勉強する子どもをつくること。

アメリカに公の概念について知る学習システムがある。例えば町の中のいろんな役割を子どもが果たす、市長、公務員、とか。コンビニは金儲けしていることは確かだが、決しておおやけの役割をはたしていないわけではない。特に今などは振り込みもできるし・・・。今までの勘違いがわかる。

そこでそのシステムそのものは非常に大がかりでやれないので、てっとり早く株式会社をやってみる実践を中学校でやった。公の概念を知るために意味がある。しかし、これにはその意味を理解しない人から批判もある。それで、私は最後の株主総会の授業をみた。携帯のストラップづくりという事業。金がないので一株100円の株券を売って資金を得る。これは実は高校大学向けのカリキュラムだが、やったのは中学生。株主は納税者と同じ。何をやるにも、そのお金はどこからくるのと考えることが大事。株主になると、お金の出所がわかる。同じことを当てはめると税金。そしてそれを使う責任。そして説明責任。

さて、決算してガラス張りにすると、450円の使途不明金がでた。役員一同、財務担当副社長の女の子は平謝り。原因がわかりません。領収書のもらい忘れ。等。株主一人に四円五十銭の損をさせたと肩をふるわせて誤る。さて外務省は奇しくも四億五千万円。外務省は誤らないから問題がある。だが中学生はそれがわかる。

細かい知識は後でもつけられる。しかし、マインドはこういう学習で。

パブリックということ。学校の先生にもそれができる人はいる。勤務時間以外に何かできることをやる。例えば、私が書いたのではないが、もうすぐ本をだす。いじめにあって不登校から立ち直る人の手記。そこに一言、それぐらいだったら私もできると、書かせてもらう。

みんなが何か関わる。

教師だって、変わってみるとあなたがハッピー。やるのはたいへんだけど。

私だって十年前は官しかない人間だった。今の方がハッピー。

最近感動した話。寺子屋が何カ所あったかを研究している人の話をきいた。幕末に十万あった。人口が二千万人から三千万人の時代。勿論規模は小さく就学率が低い。でも十万ものコミュニティで、どこから補助金がでるわけでもないのに、読み書きを教えようと、先生も集めて・・・それだけコミュニティがあった。今は二万四千の学校。明治のはじめも金を自分で集めて学校をつくった。学校はコミュニティのもの。

最近一番変だと思うのは、校長の写真が校長室に掲げられていること。そういうこと一つから誰が意志決定するか。誰のための学校か考えてみる。

放課後や土日は社の方(地域社会)が受け持つ。そこから始めると始めやすい。そして子どもに好かれた者が勝ち。自ら考え、自ら学ぶ力を試さない学校は子どもが受験しなくなる。

来年に向けてこの夏休みがトライアル。一つのきっかけ。そこをみなさまにお願いしたい。

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