イ 「総合的な学習の時間における子どもの参画」

「大庭みゆき氏」(九州大学大学院)の報告、当日配られた資料にそっての概要。

1、総合的な学習の時間の目指すもの

生きる力とは何か?

総合的な学習に関する現状は、その(学習の)テーマがほとんど教師・学校側から提示されている。総合的な学習の時間でなにをどうやってするのかという方法やスキルが(学習の)課題となっている現状である。しかし本来「生きる力」の育成−大きく言って−主体性・共同性の二つの育成が、総合的な学習の大きなねらいであったはずではないか。(また?接続詞)環境教育(大庭氏の専門分野である)についても、「自然環境」しか取り上げられず、「エネルギー環境」「住環境」「人間環境」などほとんど取り上げられていない状況である。(ここで考える)子どもの参画で一番の問題は、子どもが何を学びたいのか、その最初の段階を見つけることができていないことである。このできていないことをどうしていくのかをこれから見ていく。

「生きる力」を持つ子ども−具体的にはどういうことか。
@「ゆたかな子ども」−「五感の発達した子ども」−「感性のある子」
A「多様なふれあい」−画一化された生育環境(こんにち)。日常的な中では「多様なふれあい」は少なくなっ
  ている。これをどう体験させるのか。
B「好奇心」と「あそびごころ」−なんでそうなるんだろうと思うもの。例えば?「学校を涼しくしよう」というテー
  マがあって、すだれをかけるをいうことをやる。−風流。
Cオラリティ能力(話す・聞く)<->リテラシー(書く・読む)−「読んで」ではなく、話すこと。例えばメールではな
  しに直接にあって話すことがどういう意味を持つのか、それを総合的な学習の中でやっていく。
D豊かなイマジネーション−例えば、エネルギー環境教育の中での「環境にやさしい」自動車−「夏のアスフ
  ァルトの熱もエネルギーだよ」−それを自動車に利用できないか。最初に何かのイマジネーション、目標が
  あり−それによる学習促進。
E自由度が高い感性−あまり縛られないものの見方
F他者認識−「子どもがひとつのの主体性をもった人格なんだ」という認識。もちろん教師もそうであるが(教
  え−教えられるだけではなく、総合学習では特に)、相手をどうやって認めるか−共同性。

教科教育とのつながり

今日(フォーラム当日)は、学校の先生が少ないということですが、学校現場で頭を悩ましていることに総合学習と教科とのつながりがある。子どもの関心をどう引き出すか−ある例−小学6年での環境教育。子どもの方から「光」というテーマが出された−「光害」−ここからどのようなテーマが生まれるか。照明−江戸時代の明り−行灯はどれくらい明るいか−光の歴史。「光」というものが人に与えるイメージはどのようなものか。あるいは擬態語の「キラキラ」「ギトギト」といった光の特徴。また自動販売機の光のルスク。年齢によって本を読む光度の違い等がその例では挙げられた(つまり「光」ひとつとっても色んな教科に繋げられるということ?)。


2、子どもの参画

カリキュラムとしての総合的学習の時間 子どもの参画と教師の役割

@PDS(Plan:計画、Do:実行、See:評価?)のP:計画の段階で充分話し合わないとダメ−子どもの参画の意義。何のために誰とどうやって何を学ぶのかというPの段階で話し合わないと、例えば「川をきれいにするのがいいんだ」としても、他に応用がきかない。子どもを納得させることが大事。

Aカリキュラムにおける相互主体性の問題−「教え−教えられる関係」ではなく、子どもの発想によって教師
  も変わることになるという(その逆ももちろんある)連関性の中で総合的な学習のカリキュラムはあるべき。↓
B連関性と共同性を支える−コミュニケーションの能力−子ども自身もそうであるが、上に見るように、その
  前提として教師自身にとっても重要なのが多様なコミュニケーション能力である。
Cカリキュラムの多様性−同じテーマでも違う見方−例えば自動販売機でも、福祉から見ると「誰でも使い
  やすいか」、エネルギーから見ると「エネルギー消費からするとどうなのか」−多様な側面からの多様な学
  習が連関してつながって「ひとつの学習」となるというのが「総合的な学習」の意義であると言える。

総合的な学習の時間における子どもの参画事例

1)環境教育事例
具体的にどうやって子どもの側から求めるのか。「環境ってなあに?」−山・川等の自然環境、「地球温暖化」−それだけが「環境」ではない。例えば、ペット−どうして、人はペットを求めるのかとか。信号−誰にとっても使いやすいかとか。公園−皆が寛げる環境であるべきなのに「使いますか?」−「使わない」−何があればよいかの実地の調査−例えば「水」「動物」(自由な発想)−「寛げる」というもの。暑さ・寒さ−暑いのにワイシャツ−日本の風土気候にあったものなのか。このように子どもにとって「当たり前」のことは(別の側面から見て)本当に「当たり前」と思うかどうかを子どもに考えさせる。−考えるということを学ぶ−その方法とスキルを教える。−例えばお豆腐を包む?

2)福祉教育事例
信号−横断するのに適した時間−高齢者でも障害者でもあれは適した「時間」なのか−それでは「時間」に関して、(会話の中で)相手が話すのをどれだけ「待つ」ことができるのか−緩慢な動作の高齢者を「持つ」−「待つ」=他人に対するやさしさ−「待つ」を福祉の入り口に考える。福祉=「なかまはずれの人を出さないこと」とすると、自販機とかパソコンとか料理とかどうか−これを学社連携でやる−高齢者のための料理を子どもが考える−栄養・量・作り易さ−レシピ−地域の方を呼んで試食会−レシピ集を地域に配る。もう一つ福祉=「人と人とが心地よくふれあうこと」とすると−枯れた花壇、携帯電話のマナーとか、このようなかたち多様な問題をやっていきたいと思っている。


3、総合的な学習の時間(における子どもの参画)の促進要因

コミュニケーション能力−身体的対面による「ふれあい」(さわる・感じる)感覚から精神的なコミュニケーションに入る、非言語コミュニケーション能力が高いコミュニケーション能力(を表すものであるという認識が?)−そういう感覚が促進要因となる。イニシエーションと「待つ」時間−イニシエーション=成熟?=人のことを待ってあげるというのはひとつの成熟。「心の奥座敷」(柳田国男)−「ひとりになる時間」によって成長していく。こんにち、子どもには個室があるが、情報においては孤独となる時間を持たない。いかにイニシエーション(古来の通過儀礼のような孤独の場?)=成熟を用意するのか。オラリティ(話す・聞くこと)−話す・聞く・歌うといったことの重要性が、国語教育においてもう一度見直されてもいいのではないか。

これらの3点において(それらの重要性が高まることで?)総合的な学習というのは促進していくのではないかと、考えている。


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