ウ 「教育現場の危険管理と危機管理の要旨 融合教育と危険管理」

融合研副会長:岸氏による趣旨説明

今回の融合フォーラムの「論文発表」の中で「危機管理」というテーマは設定していなかった。
しかし痛ましい池田小の事件があって、学校を「開く」とか「閉じる」とか(言われるようになった)。そういう一時的な問題だけではないだろう、ということがある。そうしたとき、本来的に「危機」とか「危険」とかいうことについて、私たちはどれほど知っていると言えるだろうか。

秋津コミュニティの役員で、融合研の会員でもある種田祝次氏は、まさに危機管理の仕事をしている。様々な会社・社会に危機があった時(例えばO-157とか)、どう対応するのか・また事前にどう見通すのか・またそういったものに対応するものの考え方とはどういうことなのか、(これらのことに関して)緊急提言というかたちでお願いすることになった。是非お聞き下さい。


「種田祝次」氏の報告と当日配布の資料から

「教育現場」−学校内・外における教育する場
「危険(リスク)」−例えば、私(種田)に子どもが5人いる。一人生まれる毎にリスク(危険)が増す。学校というところにおいては、児童一人増える毎にリスクは増える、というニュアンス(で了解して下さい)。あくまで、「危険」というものは、金融業でいう「ローリスク・ロ−リターン」−あまり冒険せず少しづつ儲けようということ、「ハイリスク・ハイリターン」−逆のことで大変な危険があるが儲けた時は大きい、という意味のもの(つまり「危険」とは起こり得る可能性の度合い?)。まず「危険」と「危機」は、きちんと分けて見ていくことが必要である。

危機事態

私(種田)は紹介いただいたように、食品関係・建設関係のコンサルタントをお手伝いしている。実際の「危機事態」とは、教育現場においてまず一番にあるのは、経営の「危機」(「学校経営」という言葉を聞いた、民間人からすると学校に「経営」という言葉があるのかと不思議に思うが、日常的に使用される言葉のようなので、合わせてあえて使用する)−学校そのものが「信用」とか「信頼」を失うこと−(現象面としては)学級崩壊・授業ボイコット、そして統廃合。これらは「危機(クライシス)」である。

「危機」−食品業界の場合で言えば、「危機」とは、まず消費者の不買運動→スーパー等からの撤去→メーカーの安定供給の不可能、である(「危機」とはその存立を危うくさせる事態?)。そうした「危機」を発生させるような要因は何があるのかというのが「危険」という捉え方である。−例えば建設業界で言うとこんにちの不良債権問題での経営不安情報がある。建物は大きな投資で建てられるものであるから、経営に不安があるところには発注されないだろう。信用不安もあるだろう(「危険」とは危機事態へとなり得る可能性を持つ要因・要素−例えば食品業でいえばO-157発生の可能性−それによる衛生に関する不安要因→「危機事態」へ、ということ?)。


通常の教育現場と危険事象

そのような見方で教育の現場を見て、どういうことが「危険」なのか考えると、不登校・いじめ(という要素・要因、つまり「危険」)が増えると「危機」になる。家庭内虐待が体育授業の着替え等で顕在化した場合−どのように現場で対処するのか−対処によって起こり得る「危機」がある。

他にも(危険は)犯罪−学校内における恐喝・傷害、食中毒−異物混入、教諭の不祥事−過度の指導(=暴力)・セクハラ・機密漏洩(=成績表が流れる等)、校内事故−運動時のケガなど、通学時の事故、施設事故−火災・損傷、そのほか先の統廃合という「危機事態」からすれば、少子化−経営的には「危機」への要因となる「危険」ということになる。


融合教育で増大する危険事象(あくまでも学校側の立場)

授業妨害−住民の側から良いと思って提案がなされ教育を行なうとしても、学校側はそれを授業妨害ではないかと危機感を感じることがある。教諭の信頼失墜−うちの先生よりオジさん・オバさんの方が良い(面白い・わかりやすい)−先生方にとっても大きな危機になり得る。施設事故(火災・損傷)−多くの住民が出入りするわけでこれもリスクとしてある。

・不審者侵入−これは池田小での事件にあたりますが・・・・−事故・いたずら・犯罪。
・諸経費−住民の施設利用による学校施設の水道・光熱費の増大−学校経営(市・教委−財政状況)から 
 すれば危機につながる。−秋津小でも話が出た。
・施設の汚れ(喫煙)。これらのことは充分有り得ると言える。


危険管理

危険(リスク)−どんな人間でも生きるだけでリスクがある。−今、話していて天井が落ちてくるかもしれないし、車に乗っていれば(それで)リスクがある。学校経営においてどうなるかと言えば、通常業務厳守−学校側は通常業務を守っていればよい。多くの企業が失敗しているのは、「これぐらいでいいのではないか」という「なれ」「あまえ」である。業務を厳密にやっていれば問題はない。

危険の認識と共有−「学校にはこういうリスクがありますよ」ということを、対象者・関係する人々に知っていただくということを先生方にも認識してもらう。

・挨拶励行−われわれ住民が学校内に入っても先生方の方から挨拶されないことが多々ある。挨拶する
 だけで犯罪というものを抑制することになり得るものである(例えばコンビニ店員の挨拶−万引き防止のよ
 うなことだろう)。こういう声かけは、通常業務の範疇に入ると思われるがあまり実行されていない。健全な
 常識−挨拶を励行する。挨拶されれば挨拶を返す。

・学校に入る側の人間(住民)としては学校経営を守って欲しい。足りないことを充分に尊重し我々がどういう
 立場なのかを理解すべきである−危険の認識と共有(?文脈失念)
 危機管理マニュアルは多くの企業にある。しかし形骸化されている。そこで「危険を考える日」を年一回設け
 ている企業もある。今の世の中の危険は何なのか、今の会社あるいは学校の人員・体制での危険は何な
 のか、を考え直す機会を設けて更新しつつ体制・考え方をつくる。先日の池田小の事件の後、受付での氏
 名記入・PTAの警備・警察の周辺巡回・警備員の配置・校門の施錠・防犯ベル配布等、次から次にアイデ
 アが出される。これは一時的な現象で、先生方の数年の任期をやっていけばいいという安易な姿勢に見え
 る。もっと恒久的な方策を考える必要があるのではないか。

 よくアメリカなどで学校での警備員の配置があるがそれは生徒間同士の犯罪・銃器の問題である(だから
 同じではない?)。「有識者」とされる方々の池田小の事件についてのコメント−融合のような活動を理解さ れない場合が多かった。


危機管理体制

情報(事象)の入手経路。
開校時と閉校時対応−企業で言うと営業時間と営業時間外−情報が入ってくるときどうするか。三者会談−企業で言うと総務部長とか事態の当該部門長と広報のコミュニケーション担当の協議。イメージとマネージメント−例えばある乳製品メーカー・ある自動車メーカー−ひとつの事象からどういう問題が起きるのかがイメージできなかった会社−イメージできない=マネージできない。

キーメッセージの開発−通常、対象者へ15から20の「コアメッセージ」を開発する−事実情報:どう発信するのか・基本姿勢と謝罪手法:学校としてどういう体制が基本的なスタンスなのか、謝罪するのかしないのか、原因がはっきりしなくても謝罪して良いのか悪いのか・対策と改善策:既存の対策や改善策はどうか・不安払拭:残っている人たち、それ以外の人たちに対する不安を軽減させるメッセージ・過去の事象有無:こういう事象は過去にあったか、それに対してどうしたか−イメージおよびマネージ。

対象別メッセージ開発(役割分担・スポークスパーソン)−対象↓。
手法−口頭・書面・発信者、児童に対してまた住民に対して、どれがいいのか。正しく理解されるのための方
    法論の構築。・タイミング。
メディアトレーニングとシュミレーション−正しくどう理解されたいのか。
収束宣言(資料の制作・保管)ほか。


対象

当事者に対してどういう対応をするかということ。+その家族。学校においては児童・生徒に対してどうするか、教員、保護者(PTA)、地域住民(それぞれどうするか)、これだけの人々がひとつの事象に関っていることを認識することの必要性。−自分の学校の中だけではない、ということ。

(そのほかに「関連官公庁(警察)、報道ほか(弁護士・病院・保険会社・など) *写真撮影・取材への配慮」、また「『情報開示』『道義的・人道的・組織の社会的責任』『長期対応』など」が当日配布の資料に載せられているが、言及なし。)

いざと言う時、あまりこれらは頭に浮かんでこない(だからコンサルタントがある)。どこかに抜けが生じる。そういうことがないようにするためにも、この資料(当日配布)1枚だけでも手元においてもらって何かあったときに見直していただけたらと思います。

融合教育というのは、(「危険」はどこにでもあるが)「危機」を極力少なくする今現在考え得る最大の手段ではないかと私(種田)は考える。


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