基調提言「学社融合の全国的傾向」

融合研副会長「岸 裕司」氏の報告と当日配布資料から

午前中、石川小学校で学社融合の音楽の事例を見学させてもらった。不覚にも涙がポロリと出てしまった。授業の最後の質疑応答の場面でである。「学校を開くとはこういうことなんだ、門を開くのではなく、人を開くんだ」としみじみ感じて感激した。見学させてくれた石川小学校、ありがとうございました。(以下配布資料−「」内引用−に沿って)

学社融合−融合の発想

まず、学社融合とは何か。「『学校教育が充実するがゆえの学校開放』との考え方から、学校教育における地域の社会人とのさまざまな触れ合いによる授業の充実を意図的に組織し、同時に参画する社会人の社会教育をも充実させる『学校と地域社会双方にメリットを生み出す』新しい教育理論と実践方法」、と私(岸)は定義しています。

その中で狭義の学社融合と広義の学社融合の2つがある。ひとつは「学校教育課程が充実し同時に参画する社会人の社会教育にもなることを意図しながらも、学校教育課程時間内に限定された学社融合教育活動」。つまり例えば、来年から学校週5日制が完全実施の中で「土」ではなく「月−金」に社会人をむかえるという、学校教育時間内に限られたもの−狭義の学社融合と考える。

それに対して「秋津実践のように休校日や夜間の学校施設も、地域の利用者による『自主・自律・自己管理』による開放からもたらされる@自主的な社会教育活動の充実や、そこでの触れ合いからさらにA地域ぐるみの子育て体制まで醸成させBまちづくりへと発展する活動と、Cそれらの諸活動から学校教育充実に還元されること(狭義の学社融合)を意図した学社融合教育活動」−これを広義の学社融合と考える。これ(広義)は必ずしも学校教育と社会教育に限定された活動だけではなく、もっと広い概念に発展していく(と感じている)。

そこで学社融合以前に実は「融合の発想」という大切なものの見方・考え方・実践方法があるのではないかというところへたどり着く。「融合の発想」とは「関わり合う者(二人以上−例えば夫婦もそう)や機関(例えば、社会教育行政、学校教育行政、またはある目的をもった組織=学校とか地域とか)同士が双方の可能性(メリット)を求めてはじめから意図してある事を進める発想法」と考える。

具体的にはAという主体、Bという主体、その主体同士の目的を達成させるために、AとBが意図的に結び合う。そして同じことを目指した事業を行なう。その場合、AとBにメリットがあるだけではなく、場合によってはCという新しい価値まで生んでしまう。例えば子どもと大人が触れ合うことによってまちの中でも「オジちゃんありがと」「オバちゃんありがと」、また大人の方からも子どもに声を掛けるられるといったようなCという新しい価値まで生んでしまう。


「融合の発想」にもとづくシステム変換、ないし新システム創造の時代

その「システム変換の考え方の基底に流れるもの」は何か。 ひとつは「人は縦に横にも切れない」ということ−今までは「縦割り行政」と言われるように例えば「福祉のことはアッチ行って下さい」「−−のことはアッチ行ってください」そういう考え方ではダメなんだということであり、そこで大切なのは「タライ廻しではなく心が通い合う温かい事業」をすることである。

行政、学校、地域社会の生活者のすべてに言えることである。もうひとつは、バブルが崩壊してお金がない。「お金がないからシメタ!」お金がないから知恵を出そう−「行革をしながら仕事を見直そう」。また、とかく暗い話題となる少子高齢化社会だからこそ、子どもと大人・高齢者を触れ合わせて−身近な人のために税金を払ってもよいという合意を形成する(子ども側の合意・大人側の合意−それぞれの笑顔・元気のために−世代間戦争ではなく)ことも可能ではないか。

それから、現在、学校の建て替えの時期に来ている。これから10年以内に約8,000校(小中)が建て替え−単に学校教育上の施設としてだけではなく「防災耐震・情報化・エコスクール化(コミュニティスクール)・社会教育・福祉施設等との複合化施設の推進」、これらはすでに始まっている。さらに都市計画法(S29)においてもともと「学校区を地域の近隣住区に」と定められていた。しかし現実には商業施設を中心にしてまちづくりというものがなされてきた。

そこで現在、例えば商店街の衰退がある。つまり地域のヘソではなくなってきている。その中で改めて、全国どこにでもある小中学校というものを地域のヘソしようというものの見方が出てきている、と私(岸)は思う。


「融合の発想」にもとづいたソフト面での事例

「学社」だけではない「融合の発想」ということで現在起こっていることを様々にみると、例えば「省間融合」。文部科学省(旧文部省教育助成局施設助成課)、厚生労働省(旧厚生省社会・援護局施設人材課)、国土交通省(旧建設省住宅局住宅政策課)が合同で、次のような調査を行なっている。−「地域に開かれた学校づくりと居住環境整備の連携に関する調査」(平成12年度国土庁地域活性化施策推進費)−いずれ調査報告書のダイジェスト版を配布したい。この中にはハードの複合化施設、秋津のソフトの融合事例等、様々な事例が載っている。つまり本省もすでに「縦にも横にも切れない」から、学校や地域住民を扱うのはそれぞれの省が集まってやるということが現実に行われている。

次に「行政内融合」。例えば福岡県福岡市では市民局の中に「子ども部」が創設された。 そうして厚生関係、教育員会、いくつかの今まで違っていた部署が人間を出して、まるごと総体として子どもたちについて扱っていこうという施策が現実に進んでいる。その中で学校の余裕教室を平成12年度に4つ、本年度7つ、学校をコミュニティ・ルームということで地域に貸し出すようになってきている。東京の武蔵野市では例えば「0123吉祥寺」「0123はらっぱ」という0−3才児と保護者へ「いつでも来ていい場所」−保育所ではなく−複合施設を2つつくっている。さらに「ムーバス」−200Mごと(高齢者のため)に停留所のある100円均一で武蔵 野市内を行けるバス−そういう温かい施策が具体的に進んでいる。他にも武蔵野市の施策は面白いものがあるが、いずれにせよ、異なる部署が共同で施策を進めていこうということが現実に行なわれてきている。

また「行政と町民の融合」。地方分権ということが具体的に行われていくわけであるが、(典型例として)全く対極的な例が出てきた。一つは鳥取県会見町である。平成14年度に児童数がゼロになってしまう(会見第2小学校)。普通、情報公開しない行政の場合は、廃校にするとか、または福祉施設・社会教育施設に転用するとかを考える。しかし町民と話し合って会見第2小学校は地域にとって大切なへそ・未来への希望であるということで、小学校の隣りにマンションを6戸建設した(H11年度)。3LDKで冷暖房と駐車場付きで会見第2小に入学する児童のいる家庭であれば、月2万円という家賃である。平成11年度分はすぐうまり、翌12年  度4戸を建てた。そのようにして廃校を防いでいる。

一方新潟県のある小さな村では逆のケースとなっている。4、5人の子どもたちをスクールバスで隣り町に送るようにして、2千万円ぐらいの借金のあった学校を独立養護老人ホームにした。村は10年?以上学校として使ったから借金を返さなくてもいいということになっている。それに飛びついてしまったのである。特別養護老人ホームが悪いというわけではないが、そこに入ってくるのは村民ではなくて、様々な外部から来る人々である。そして4,5人の子どもたちの声が日常的に聞こえなくなってしまう。こんなに寂しいことはない、この村はこの先どうなるのか、そのようなことを住民は心配している。どっちを選ぶかは、主体者である私たち自身である。このような例が出てきている。

「企業(財界)と学校教育の融合」。融合研の会員でもある経済同友会教育委員会副委員長石川史郎氏(7/7も参加)。その経済同友会では主に中学生高校生を対象に企業人が出前をするような(派遣講師)事業を進めている。様々な経験をしてきた方々の経験談を聞きたい・授業化したいという学校があれば、経済同友会のHPにアクセスを(して下さい)。その他にも「郵便局と市役所の融合 郵便物の配達時に独居高齢者に『一声運動』開始」とか「行政(保健所)とNPO+企業の融合 赤ちゃん時から読書振興を図る『ブックスタート』運動」とか、様々なことが行われてきている。そこにも私たちは目を届かせて、「学社融合」だけではない、「融合の発想」にもとづく今まで異質と考えられていた組織同士を結び付けて、両方にメリットのある、笑顔の絶えない、そんな事例を積み上げていきたいというふうに思う。


課題

そこで課題があるわけだが、ひとつは「つなぐ(コーディネイト)能力を高める」「@『融合の発想』にもとづき、双方に可能性(メリット)のある事業を意識的にプログラム化」して、プログラムバンクのようなものをつくっていきたい。「こっちの人は優れているよ」「こっちの人は無能だよ」みたいな判断しがちな人材バンクは私はしたくない。プログラムをバンクするということ。時間がないので様々に課題はあるがここでは割愛。

もう一つの「マネージメント能力を高める」ということの中で、とくに学校や教育業界に言いたいのは、「A公務分掌(特に学校)のマネージメント能力を高めて」いただきたいということ。 つまり忙しさの中に無駄なものがあるとよく聞く。であれば、もし総合的な学習という新しい領域に挑むすれば、それに時間を取られるわけであるから、8時間労働の中で行なおうすれば何かを切らなければいけない。企業では当然切っていく。つまりいらないものを削っていく。そういう習慣を教育業界にもつくっていただきたい。そして忙しくない仕事のあり方を。

最後にB「学校管理規則」を見直して、「融合の発想」の視点に立って−学校教育が充実するがゆえの学校開放−、こんな考え方の「学校管理規則」に変えていっていただきたい。

岸氏が昨年座長をつとめて作成された報告書−『地域と学校の融合で「まちづくり」 コミュニティづくり 〜「地域と学校の融合を探る研究会」調査研究報告書』(財)東京市町村自治調査会 2001年3月発行(−参考として資料に抜粋が載っている)。

この中に、イギリスのコンプリヘンシブ・スクールという中高一貫学校の事例を都立大学の上野淳氏にお話してもらった。そこでは、中高一貫校の中に、なんとパブスナックがある。つまりそこでお酒を飲むことが出来る。なんで学校の中に「パブ」があるのか−秋津のお父さんのように−地域の住民が要望したのではと(岸氏は)聞いた。そしたら違う。「設置者である行政がわざわざ考えてつくったんです」という答え。「エッなんでですか」−「学校はすべての人のものなんだ。だから学校に来ていただきたいんだ。酒を飲むだけの人でも結構です。そうやって学校を意識していただかないと子どもたちの教育というのは結実?しないんです。」−こういうことがイギリスで行われている考え方である。200年の民主主義の伝統があるイギリスでは学校の中にパブスナックまでつくっている。全ての人に関心を持ってもらいたい、ということが現実に行なわれている。

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